FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PHOTO - World No Tobacco Day 2011 - 栄光教会に栄光あれ...

台風で家に閉じこもっていたので晴れた月曜にはふらふらと外に出てみたくなります。(2011年5月30日。お天気:台風一過のち晴れ NikonD3100手持ち撮影)

eikou_488.jpg

これを書いております5月31日は世界禁煙デーだそうです。タバコは百害あって一利なし。愛煙家の人々は周囲に有毒煙を吐き出して一体何を考えているのでしょう。街中の公共の場所やカフェやレストランがすべて禁煙になればよいのです。喫煙家を街から追い出せ。税金をもっととれ。我らノンスモーカーの権利がこの世で何よりも尊く大事なのです。もうこうなったら奴らはどこでも吸ってはいけません。単に憎いんです。ええ、わしらはファシストです。あほ、ぼけ、だぼ...あー、これくらい言っておいたら愛煙家ということがバレないだろう...

昨日はマクドでせっせとお仕事をしていたのですが、そこの喫煙ルームは他の広い場所からは壁と扉で隔離された狭ーい場所。まんまとわしらを迫害したと思っているのでしょうが、ところがどっこい、とても快適なのです。壁の向こうは子供やら女子高生/大生やらの雄叫びが飛び交いとってもうるさいのですが、ここは光の当たる場所から追い出された流民ばかりなので皆静かなんです。落ち着くんです。まあ、日頃いわれのない迫害を街中で受けているのでこれくらいの特権は許されてもよいでしょう...(本当は私だって止められるのであればそれにこしたことはないと思っているのですがね。fanaticな禁煙運動には屈したくないのでw)

帰り道、夕日を背にした栄光教会が、「がんばれ」とは言っていませんでしたが、綺麗でした。 神戸市中央区下山手通4丁目神戸栄光教会 AF-S DX NIKKOR 35mm f/1.8G



■おわり■



関連記事
スポンサーサイト

PRAISE - ART - The Blue Rider - カンディンスキーと青騎士展

去る5月22日、兵庫県立美術館で開催中の『カンディンスキーと青騎士』展に行ってきました。『コンポジション』シリーズで有名なヴァシリー・カンディンスキーや動物シリーズのフランツ・マルクを中心とする表現主義芸術家のグループ「青騎士」。展覧会ではドイツのレンバッハハウス美術館所蔵の青騎士コレクションの中の60点以上に及ぶ作品を中心に当時の写真を織り交ぜながら『青騎士』誕生までを紹介します。5月26日に補足しました!

カン1_488
Hyogo Prefectural Museum of Art, Kobe, Japan, shot on May 22nd, 2011

展覧会は時系列的に四部から構成されています:
序章:フランツ・フォン・レンバッハ、フランツ・フォン・シュトゥックと芸術の都ミュンヘン
当時ミュンヘンで絶大な影響力を持っていた肖像画画家レンバッハ、そしてミュンヘン美術アカデミーでカンディンスキーに教授したフランツ・フォン・シュトゥックの作品を紹介。この時代にはまだ「青騎士」グループの原形すら生まれていません。

第一章:ファーランクスの時代:旅の時代 1901 - 1907年
恋人(事実上の二番目の妻)であるミュンターとカンディンスキーが運命的な出会いを果たしたファーランクス美術学校時代の作品、及び、二人が放浪の旅で制作した作品を紹介。ものごとを抽象的に表現することへの二人の挑戦がうかがえます。

第二章:ムルナウの発見:芸術的総合に向かって 1908 - 1910年
アルプスふもとに見つけた美しい村ムルナウでの青騎士予備軍とも言える同志との制作活動。青騎士グループの幕開け前夜が写真とともに紹介されています。

第三章:抽象絵画の誕生:青騎士展開催へ 1911 - 1913年
青騎士グループの理念が1911年の「第1回青騎士展」において遂に具現化されます。第一次世界大戦で離散を余儀なくされるまでの『青騎士』たちの作品を紹介。


上記構成をご覧いただければご想像がつくかと思いますが、本展覧会ではいわゆるカンディンスキーらしいカンディンスキー作品はほとんどありません。カンディンスキーがカンディンスキーになるまでの作品がメインです。このような展覧会ってともすれば、派手さに欠け、正直に言うと退屈でさえあり、「期待したほどじゃあなかったね」というのが率直な感想となることが多いように感じるのですが、今回のは一味違いました。

MUSUM1_BL488.jpg
Impression III (Concert), 1911, Wassily Kandinsky

その構成(或いは、「ストーリー展開」と言ってもいいかもしれません)が素晴らしい。ミュンヘンにおける古い美術教育・美術界への反発から始まり、新たな芸術の形の模索、教え子ミュンターとの運命的な出会い、新しい芸術と愛を探し求めた二人の放浪の旅、ムルナウというアルプスふもとの村での牧歌的生活、抽象絵画の誕生、そして戦争によるこの芸術活動の終焉。この流れが順番に各時代時代の「青騎士」たちの写真を織り交ぜながらまるでドラマのように展開されます。旅の途中でミュンターが残した「物事の本質をとらえて抽象的に表現するということが最近できるようになってきた」という言葉は非常に印象的です。そして『抽象絵画の誕生』と名付けられた最後の部屋でようやくカンディンスキーの『コンポジション』やフランツ・マルクの牛が登場し展覧会はそのクライマックスを迎えるわけです。しかしながらこの希望に満ちた「青騎士」たちの新しい芸術活動も翌年に勃発する第一次世界大戦によってあっけなく終わりを迎えることになるのですが...


Vassily-Kandinsky120.jpg
で、今回の展覧会のドラマの中で私が最も気になったのが、カンディンスキー(写真上)とそのパートナー(愛人、婚約者)、ガブリエーレ・ミュンター(写真下)の関係です。

実は私はこの二人が恋人同士であったということはそれまで知りませんでした。(ですから、以下、私の思いはドイツ表現主義・抽象主義や美術史にお詳しい方には「そんなことも知らんかったんかいな!」と感じられるかもしれませんが、お許しくださいませ...)

GabrieleMunter120.jpg
このガブリエーレ・ミュンターという女性は元々カンディンスキーが結成したファーランクスというグループによる絵画教室の生徒でした。師匠と教え子にありがちと言えばありがち、二人は「親密」になってしまいます。しかし、既に結婚していたカンディンスキーは(宗教上?)離婚できません。妻と愛人の両方がそばにいることの緊張感に耐えかねたカンディンスキーとミュンターは二人でオランダ、ドイツ、チュニジア、フランスなど各地を放浪し制作活動に励みますが、これが事実上の新婚旅行であったのではないでしょうか。

その後二人はミュンヘンはアルプスのふもとにムルナウという美しい村を見つけます。ミュンターはここに二人の老後のためにと一軒家を購入。そこにはアレクセイ・ヤウレンスキー、アウグスト・マッケ、フランツ・マルクなどが集い、活発な芸術論をかわし、後の抽象絵画誕生へと結びつく数々の作品が精力的に作られたわけです。

法律上の夫婦になれなかったこの二人の結末はどうなったのか。展覧会での説明によると、1914年に第一次世界大戦が勃発し、ドイツの敵国ロシア出身であるカンディンスキーはロシアへ帰国。独り残されたミュンターは一生をかけて二度の戦争やナチスからカンディンスキーをはじめとする青騎士グループの作品を守り続けた、とのこと。ふむ、戦争によって引き離されたのね、と思いつつ、最後に展示されていた年表に目をやると(*文言は正確ではないです)「1914年、カンディンスキー、祖国ロシアに帰る。1915-16年の冬、スカンジナビアにてカンディンスキーとミュンター、再会。1917年、カンディンスキー、ロシアにてロシア人女性と結婚」...え?えー?!ロシア人女性と結婚、しかもそんなすぐにですか?!彼は既婚者ではなかったのですか?だからミュンターとも入籍できなかったのではないのですか??なんともすっきりしません。展覧会の年表にはこのようなシンプルな記述しかなく、何故カンディンスキーが別の女性とそんなに早く結婚(再婚?)したのか、ミュンターは納得したのか、それとも二人の愛はもはや冷めてしまっていたのか、などということについてはまったく記されていません。私としては、ここまで出会いから15年間、恋人として夫婦として同志として歩んできた女性以外の女性とカンディンスキーが何故唐突に結婚してしまったのか、素直に考えると納得できませんでした。何があったのだろう。とても気になり帰宅後調べてみました。

帰宅後調べてみてわかったことは:1916年に最後に再会したのちカンディンスキーはぱったりと消息を絶ちます。彼の身を案じた(そして結婚の事実など想像だにしなかった)ミュンターは警察に依頼し彼を探し続けます。そして数年後、ようやくカンディンスキーが雇った弁護士を通じて彼の結婚、裏切りを知るにいたります。カンディンスキーは彼女に会うことを拒否し、弁護士を通じて彼の作品をはじめとする全ての所持品を彼のもとに送るよう指示してくるのですが、そのような終わり方が納得できない(当然ですね)ミュンターは条件として二人が過ごした15年間、彼女は彼の正式な婚約者であったことを書面に記して残すことを要求します。そして彼に返却する作品も一部のみで、残りはすべて彼女所有のものとする約束もとりつけます。

失意のどん底にあったミュンターは、その後ほとんど制作活動を行なわなくなってしまったそうで、残りの人生を青騎士の作品を守ることに捧げます。また、その作風も一生大きく変わることはなかったそうです。カンディンスキーが結婚し、子供をもうけ、さらなる芸術活動を展開していったのとは対照的にです。おそらく彼女の人生の時計はカンディンスキーの裏切りを知った時に止まってしまったのではないでしょうか。

思えば、ミュンターが二度の戦火から青騎士グループの作品を守り通したのも単なる芸術の保存が目的であったのではなく、二人が共に過ごした時間の証、まさに二人が生み出した二人の「子供」を無かったことにはしたくないという女の意地と執念であったのでしょう。

カンディンスキー自身がどのような状況・考えで彼女を捨てたのかはまだ勉強不足で知りませんのでフェアではないかもしれませんが、なんだか私の中で彼がすごく「嫌な奴」となってしまいました。本当の芸術家というものが一番愛しているのは、結局、自分と自分の作品ということなのかもしれません。



■追記(2011年5月26日早朝)■

カンディンスキーがどういう事情でミュンターと別れたのか、単に戦争だけが理由ではないはずとさらに調べましたところ、『Olga's Gallery(http://www.abcgallery.com/)』という美術史サイトにて『Three Wives of Wassily Kandinsky(カンディンスキーの三人の妻)』と題された面白い記事を発見しました。この記事の根拠となる情報源(カンディンスキーやミュンター自身の言葉なのか、周囲の言葉なのか、或いは周知の事実なのか等)については記事には記されていませんでしたので、それが100%真実であるとは断定できないのですが...

その記事によりますと:
ミュンターがカンディンスキーの可愛い生徒であったうちは彼にとって彼女はインスピレーションを与えてくれるミューズでした。しかし、やがて彼女もアーティストとして成長し、独自のスタイルを確立し始めます。そしてついにはカンディンスキーに逆に彼女が影響を与えるようにまでなります。しかしそれはカンディンスキーにとっては喜びではなく苛立ちでしかありませんでした。ですから第一次世界大戦の勃発は彼にとっては彼女から逃げる恰好の言い訳だったのです。(『カンディンスキーと三人の妻』より抜粋・要約)

その後カンディンスキーが再婚した女性は27歳年下、ミュンターのような芸術家ではない普通の女性であった(メイドであったという説もあります)そうです。このことや、ミュンターが彼の教えを必要としなくなった段階で彼の彼女への愛が苛立ちに変わってしまったということから考えますと、どうもカンディンスキーは、あくまで自分を尊敬し、自分に優越感を与えてくれるような女性を求めていたのかもと考えてしまいます。いずれにせよ、やっぱりちょっと「嫌な奴」ですw。

■追記ここまで■


参考:『カンディンスキーと青騎士』展で紹介されている作家:

ヴァシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky, 1866-1944)
ガブリエーレ・ミュンター(Gabriele Munter, 1877-1962)

フランツ・フォン・レンバッハ(Franz von Lenbach, 1836-1904)
フランツ・フォン・シュトゥック(Franz von Stuck, 1863-1928)

アレクセイ・ヤウレンスキー(Alexei Jawlensky, 1864-1941)
マリアンネ・フォン・ヴェレフキン(Marianne von Werefkin, 1860-1938)
フランツ・マルク(Franz Marc, 1880-1916)
アウグスト・マッケ(August Macke, 1887-1914)
パウル・クレー(Paul Klee, 1879-1940)


美術館空_488
View of Hyogo Prefectural Museum of Art (right) and Sannomiya (left), shot on May 22nd, 2011

兵庫県立美術館(写真右端建物)
神戸市中央区脇浜海岸通1丁目1-1(最寄駅:阪神岩屋。三宮から海辺を歩くと1時間弱)
兵庫県立美術館・『カンディンスキーと青騎士』展公式WebSite:
http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1104/index.html



関連記事

PHOTO - MOTOMACHI, After ALL... - やっぱり元町ですかね...

前から非常に気になっていたしあわせの村とやらに行ってきました。でも帰ってきたら結局載せる写真は全部元町でした...やはりしあわせってすぐそばにあるということ??嗚呼、灯台デモクラシー (2011年5月20・21日。お天気:晴れ NikonD3100手持ち撮影)

1211いんこ_488

しあわせの村まで三宮からバスで行くと420円もかかるのに神戸駅からだと何故か250円です。なので当然神戸駅まで歩きます。元町商店街老祥記前のインコはいつもとってもえらそうで気になります。神戸市中央区元町商店街五丁目老祥記前 AF-S DX NIKKOR 35mm f/1.8G



0520高架下_488

で、いったん一日さかのぼります。前日に神戸朝日ホールにて神戸映画サークル主催の『カティンの森』byアンジェイ・ワイダを観てきました。帰りの街はみんなグレーに見えます。元町駅東口から鯉川を少し昇ったここの景色が好きなんです。5月20日 中央区JR元町駅東口鯉川筋より高架下を見る AF-S DX NIKKOR 35mm f/1.8G



0520とあ_488

映画を観た後、先日またまたあぶく銭が入ったのでトアロードのピザ屋さんに行って贅沢してやりました。NHK前から山の方を見るのが好きです。特に早朝と夕暮れ時が。5月20日 中央区中山手通二丁目と三丁目の境(on Tor Road)より山側を望む AF-S DX NIKKOR 35mm f/1.8G



1618神戸駅_488

時間がいったりきたりします。しあわせの村より神戸駅に無事生還しました!ここは小さい頃は「ことり」がいるから行っちゃだめ!とよく言われたのですが、本当にいたんでしょうかね、ことりさんは...中央区JR神戸駅構内 AF-S DX NIKKOR 35mm f/1.8G



1636毎日市場_488

山側を歩いて帰りました。懐かしの宇治川毎日市場。シャッターが閉まってたな。中央区下山手通9丁目毎日市場 AF-S DX NIKKOR 35mm f/1.8G



1639ゆり_488

少し上がった下山手公園に毒々しい赤い花が。ユリかな。中央区下山手通9丁目(或いは8丁目か?)下山手公園の花 AF-S DX NIKKOR 35mm f/1.8G



1646かんていBW_488

さらに北上してこれまた懐かしい関帝廟へ。小さい頃は毎日ここで母の仕事が終わるのを待っていました。当時はシーソーなどの遊具があったのですが、今は何もありません。写真の動物の意味はよくわかりません...誰か知っていますか?中央区中山手通7丁目関帝廟 AF-S DX NIKKOR 35mm f/1.8G



1648かんてい道_488

外に出ました。塀が赤いね。中央区中山手通7丁目関帝廟東側の塀 AF-S DX NIKKOR 35mm f/1.8G



1649マンション_488

東へどんどん進みます。ここで昔両親が商売をして暮らしていました。単純に、ノスタルジーです。中央区中山手通 AF-S DX NIKKOR 35mm f/1.8G




■おわり■



関連記事

PHOTO - KOSHIEN, SHINKAICHI, MAIKO - 甲子園、新開地、舞子と

気がつくと、なんと5月に入ってからブログを更新していませんでした!姪の写真ばかり撮っていたもので自分としては「あー、撮った撮った」と満足していたのですが...記録として5月前半分をちょっとだけ。(2011年5月3~13日。NikonD3100手持ち撮影)

1449POPPY_488.jpg

5月3日に西宮~甲子園を散策。阪神バスで三宮から阪神西宮駅までバス旅行(210円)を満喫し、その後西宮駅南側の酒蔵通りへ。日本盛酒蔵通り煉瓦館ではお目当ての利き酒をぐびぐびっ。酒蔵通りにはケシの花が沢山自生していました。夢は夜ひらく~ 5月3日西宮市酒蔵通りのケシ AF-S DX NIKKOR 35mm f/1.8G



1649つた488

ほろ酔いとまではなかなかいかないですが、飲めたので満足して聖地甲子園まで徒歩。久しぶりに行ったのですが、綺麗になっててびっくりするやら寂しいやら。甲子園名物のツタはまだ生長途上にありました。5月3日西宮市甲子園町阪神甲子園球場一塁アルプス側のツタ AF-S DX NIKKOR 35mm f/1.8G



512新開地488

日付変わって5月12日です。この日は新開地のKAVCにゴダールの新作を観にいきました。この写真は、ゴダールを観た後なんで単純に青と赤に目が行っただけのことであります。新開地本通りはKAVC館内を除くと99%がおっさんでした。5月12日神戸市兵庫区新開地本通り AF-S DX NIKKOR 35mm f/1.8G



1416大歳山遺跡より_488

また日付変わって5月13日。神戸市内を徒歩で制覇するという大いなる野望(どこが?)を抱いている我々は、この日は前から行くのを躊躇していた(だってそんなにエキサイティングじゃなさそうだったもんで...)舞子エリアをやっつけてきました。5月13日神戸市垂水区西舞子4丁目大歳山遺跡より明石海峡を望む。AF-S DX NIKKOR 35mm f/1.8G



1452ガザニア488

JR舞子駅南側の公園にはガザニアがいっぱい植えてありました。ガザニアって夕方になると花を閉じるんですよね。この辺りからアジュール舞子辺りまでは本当に潮風が気持ち良いです。5月13日垂水区JR舞子駅南側 AF-S DX NIKKOR 35mm f/1.8G



1724かも488

バスに乗って垂水健康公園周辺へ...と思ったのですが、バスを間違えていたらしくて、目当ての停留所の名前が呼ばれるのを待っていたら遂に終点の学園都市まで行ってしまいました。このバス間違い事件は実は5年ほど前にも起きた別のバス間違い事件とリンクしていて相方とすごく盛り上がったのですが、ここで書くには話しが長くなりすぎるし、何より、私の頭の中を疑われてはいけないので、今回は控えます...神戸市垂水区学び丘垂水健康公園 AF-S DX NIKKOR 35mm f/1.8G




■おわり■




関連記事

 | HOME | 

Categories

Recent Entries

Appendix

CapeDaisee

AUTHOR : CapeDaisee

Born and live in KOBE, JAPAN.
Love Hanshin Tigers, beer and cute tiny things.

神戸市出身・在住 女性
御多分にもれずタイガースファン。
何かを作るのが好きなので そして仕事と家事に忙殺されぬよう ジャムを煮たり写真をとったりしています。おうちで作るジャムのおいしさと神戸のいいところを伝えられれば幸いです。
好きな映画や本や音楽やモノやコトについても時々書いています。
でも最近は写真ばっかりだな...

   LINK :  SmallPhotoFactory

Recent Comments


   THANK YOU For Stopping By!
   Has Been Visited By :     
   Now Being Viewed By : 

Archives


Calendar

04 « 2011/05 » 06
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

Recent Trackbacks

Other Links

このブログをリンクに追加する


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。