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PRAISE - CINEMA - ヤン・シュヴァンクマイエル監督「アリス」

映画について語る上でよく使われる言葉に『ネタバレ』というものがある(昔は使いませんでしたがね)。ストーリーの結末や重要なポイントまでを観ていない人に話してしまうという行為のことを指すのであるが、ヤン・シュヴァンクマイエルの『アリス』についてはネタバレなどまったく関係のない話しであろう。つまり重要なのは「観る」か「観ない」かであって、観ないかぎりはいくら言葉をつくして最初から最後まで(浜村淳さんのように...)細部まで筋を話してしまっても何もバレないのである。


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『アリス』はあの有名なルイス・キャロルによる『不思議の国のアリス』に基いて作られた妄想ストーリー。子供向けのファンタジーであるからそりゃあファンタジックな夢の世界と思って観ると大やけどをします、全然違います...という話しをチラホラ耳にするのだが、果たしてそうであろうか?実は、シュヴァンクマイエルの描く『アリス』の世界はまさに子供が感じる夢(或いは現実)の世界なのだ。私はそう感じた。


大体、人形やカエル、うさぎなどの小動物は怖いものである。可愛いなんてものではない。子供の頃もあいつらは不気味な存在であった。何が彼らに不気味さを与えているのか?それはこちらを意に介さないあの目である。犬のようにこちらを見つめたりすることはないし、目に(人間が期待するところの)温かみや感情という色がないのである。なんだか「こちら」と「あちら」という感じがして、決して「あちら」の世界には入っていけない、つまり理解しがたい存在なのだ。わからないものは怖いものなのだ。


映画『アリス』に登場するキャラクターたちは皆、主人公のアリス以外は目に表情はない。ハリウッドなどの人形が動き出すようなアニメーション映画では大抵人形たちに生命が宿りいきいきと動き出すが、そのような嘘は一切ない。私が子供の頃、よく夜中に人形たちはパーティをしていた。でも目はやはり死んでて、私は見つからないようにそっと覗くだけだった。カエルも虫もよく捕まえたが決してこちらに微笑みかけはしない。動物も含めて自然は自分を包み込む優しい存在ではなく自分達の入っていけない怖い存在であった。そんな子供の頃のなんとも言えないおそれを『アリス』はほとんど言葉を使わずに見事に表現している。劇場で観ている間、私は「そうそう、これなんよ!」とやや興奮気味にさえ。


最後に、ここまで書くとまだ観ていない人は「グログロのこわーい映画なの?」と思われるかもしれないので一言。おどろおどろしいなんてことは一切ありません!映像が美しいです!細部にまでこだわったセット(セットと呼んでよいのやら?)の作りや色彩など、もう何時間でも観ていたくなります。子供のこころの世界というものは美しくて不条理でグロテスクなもので混沌としているのです...。

*写真:元町映画館のチラシより


「アリス」(原題 "Neco z Alenky")
製作:1988年 スイス・西ドイツ・イギリス 84分
脚本・監督:ヤン・シュヴァンクマイエル
出演:クリスティーナ・コホウトヴァー

私的評価:★★★★★ 90点

神戸元町映画館で上映中です。今日を含めてあと2回。急げ!!
神戸・元町映画館公式HP: http://www.motoei.com/


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PRAISE - CINEMA - 2011年8月21日祝元町映画館開館1周年

神戸元町商店街四丁目に昨年産声をあげた小さな映画館「元町映画館」が昨日8月21日開館一周年をむかえられました。ここは小ささ具合と上映作品がとても心地良く開館以来私の心のオアシスとなっております。

blogあいさつ

昨日は一周年記念日ということで、来場客に先着順でメッセージが添えられた記念のクッキーが配られました。クッキーは元町四丁目のカフェ「cafe cru」さんが焼かれたものです。そのクッキー、小さな六角形をしているのですが、最初は六角形の意味がよくわからなかったんです。なんでこんな形にしたのだろう。。。?と。

488看板

答えは、ジャーン!はい、一周年記念上映『ミツバチのささやき』です(蜂の巣の六角形ですね)。偉そうに書きましたが実は昨日、元町映画館支配人さんに「なんで六角形なの?」とうかがって教えていただきました。(よく考えると(よく考えなくてもですね)明らかに蜂の巣の一つの房ですね) この作品、支配人さんの人生を変えてしまうほど支配人さんにとっては大事な作品であるということ。開館一周年の日にそんな作品を上映できるなんて、なんと幸せな男でありましょうか!

私が鑑賞したのは8時45分からの最終回でしたので映画が終わって外に出ると元町商店街はすっかりひっそりかん。

blog元映

「元町映画館」の文字も消灯。ロビーのレモン色が可愛いでしょう?黄色は元気になるので大好きです。写真左手前に見えるテーブルと椅子は私のお気に入りのカフェでございます。上映前に最前列の座席を確保したのち、ここで缶コーヒーを飲みながら一服タバコを吸うのが好きです。特に夜の回を観るときには元町商店街の他の店もシャッターをおろしはじめ、通行人もまばら、とっても快適です。

blog四丁目

この日の最終上映は(さきほども書きましたが)8時45分という異例の遅さ(ふだんはもう少し早いです)。なので映画を観てから外に出ると、ひっそりかんというよりは真っ暗け!でした。しかしながら、昼間とは全然表情の違う人気のない商店街は今観たばかりの映画をじっくりとかみしめるのには最適です。ちなみに普段の最終回の後でも十分な人気のなさです。商店街を四丁目から一丁目まで観た映画の世界にひたりながら歩き続け、穴門商店街で北上、エビアンの街灯を見ながら数十メートルほど歩くといきなり車や人の行きかう元町駅前に出ます。この瞬間は現実に引き戻されるというよりは、シーンが突然切り替わって第二幕が始まるという感じ。そして元町駅山側の鯉川筋に出てようやく現実に戻ります。これが元映さんに夜行った時の私の鑑賞後の楽しみ。。。!

blogくつ

最後になりましたが、お待たせ、先ほどお話ししました支配人さんのこの日の写真です!!明るいオレンジ色の靴がとっても可愛らしかったです!(顔は皆さん、いやっちゅうほど見ているでしょうww)


どこの大都市でもシネコンはどんどん出来るのにミニシアターが軒並み閉鎖していっている昨今、まあ、ようこんなに小さくて(そして素敵な!)映画館を開きはったと思います。ずっとずっと続いてほしいのでたくさんのお客さんに足を運んでいただきたいです。お客さんの中に若い方が非常に少ないのが常々気になっております。学生料金はなんと1000円です。これなら貧乏学生も月に一回くらいならなんとかなるでしょう?(スタバで二回ほどお茶する分くらいでしょ?)大きな画面での映画体験は居間におけるDVD鑑賞とはまったく別のものです。昨日鑑賞した『ミツバチのささやき』も、家のDVDではアナちゃんと同じ目線で通り過ぎる列車を見ることはできません。


とにかく二周年記念もお祝いしたいのでまだ行ったことがないという方も是非行ってみてください!そして最前列の真ん中に座ってください(他の映画館と違って非常に見やすいです、最前列が)。椅子はとても快適です。それに赤いんです(なんで「それに」??)!


元町映画館 神戸市中央区元町通4丁目1-12 (大丸と神戸駅のちょうど中間辺り、お仏壇の浜屋斜向かい)
公式ウェブサイト:http://www.motoei.com

PRAISE - CINEMA - Stay Alive! - 本橋成一監督「ナージャの村」

元町映画館にて公開中の『ナージャの村』を観てきました。86年のチェルノブイリ原発事故によって汚染され立ち退き地区に指定されたベラルーシ共和国ゴメリ州ドゥヂチ村。村は事故後地図上から消され、外部の人間は許可証がないと入れません。『ナージャの村』は立ち退き要請後もそこに住み続ける6家族の生活を映した作品です。

Naja.jpg

本作品は写真家である本橋成一氏の作品だけあって映像が美しい。社会派ドキュメンタリーにありがちな拳をつきあげるような叫びやあからさまな問題提議も一切ない。大地とともに静かに生きる人々の姿が四季を通して映し出される。

村の人々は(ある1シーンのみを除いて)原発事故に対する不満を一切口にしない。映画の冒頭、「人間が汚染した大地をどうして私たちが見捨てることができようか」という文字が画面に映し出される。村民が事故を起こしたわけではない。しかもドゥヂチ村の住民は原発の恩恵をまったく受けていなかったという。それなのに、彼らは事故への不満や憤りを口にするどころか、この事故を大地に対する人類全体の責任としてとらえているようにも見える。彼らにとって自分たちが生まれた故郷の大地とは自分でもあり、自分も大地の一部なのであろう。故にそこを離れるか離れないかということは、そこが汚染されているかいないかという問題に左右されるようなことではないのであろう。村民の一人ニコライは言う:「天国はいらない。故郷をくれ」

作品に登場する人物の中でとりわけ私が気に入ったのが老婆チャイコ・バーバである。彼女は放射能汚染に対する不安や不満は一切口にしない(或いは、まったく気にしていない様子である)。彼女は日々自分たちを生かしてくれる野菜や山羊のミルクや馬や季節の移り変わりのほうが心配でしようがないようだ。自分の家で飼っている耕作用の馬が行方不明になったと半泣きになっておろおろするバーバ。台所で子猫に話しかけるバーバ。山羊のシロから毎日コップ一杯のミルクをもらい嬉しそうなバーバ。傑作シーンは、ミルクを毎日出してくれるシロが死んだとき「シロの遺骸を外に置いておいたら犬に食べられてしまった。かわいそうに...」と哀しみに暮れるバーバに対し、息子のチャイコ(名前が紛らわしいですね)は「でも犬は満腹だ」と言い捨てる。そしてこのくだりは二度繰り返される。コントのような会話で笑ってしまうのだが、どんないきものも命を頂いて生きているのだなという現実をこの村の人たちは意識せずにわかっているのだと考えさせられるシーンである。


現在日本でもこの村と似たような状況(そして展開次第では今後同じ道をたどる可能性もゼロではない)にある町や村がいくつもあります。政府が強制避難区域に指定した地域にあって冷静にその指示に従い避難した人々、指定に従わず(それぞれの事情があり)残った人々、指定区域でなくても自主的に避難した人々。このような人々に対して補償のあり方が異なってはいけないということを政府は理解すべきでしょう。とった行動は違うにせよ、失ったものは結局同じなのですから。本作品『ナージャの村』を責任ある立場の人間に是非見てもらいたいと思うのですが、今の政府にこの美しい作品の底にある静かで繊細な叫びや哀しみがわかる人は果たしているのかな?とも思ってしまいました。(まあ、大連立やら原発問題やらで映画など見てはくれないでしょうが...)


最後に本作品で私が最も好きなシーンを。
春が近い冬のある日、雪に覆われた畑を前にチャイコ・バーバは大地に話しかける:
「暖かくなったら 仕事にとりかかろう。タマネギ、ライムギ、キュウリ、じゃがいも。暖かくなったら 種を蒔こう」



「ナージャの村」
製作:1997年 日本・ベラルーシ
企画・監督:本橋成一
製作総括:鎌田實
製作:神谷さだ子、小松原時夫
撮影:一之瀬正史
語り:小沢昭一


私的評価:★★★★★ 90点
ポレポレタイムス社HP: http://movies.polepoletimes.jp/nadya/
神戸・元町映画館公式HP: http://www.motoei.com/


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写真:映画を観た後のセルフポートレイト。神戸市中央区下山手通4丁目ココシュカ跡で

*こちらの記事は新映画サイト『KOBE Day for Night 神戸で映画を』に引っ越しました。そちらのサイトもあわせてよろしくお願いします(2011年10月23日)


PRAISE - ART - The Blue Rider - カンディンスキーと青騎士展

去る5月22日、兵庫県立美術館で開催中の『カンディンスキーと青騎士』展に行ってきました。『コンポジション』シリーズで有名なヴァシリー・カンディンスキーや動物シリーズのフランツ・マルクを中心とする表現主義芸術家のグループ「青騎士」。展覧会ではドイツのレンバッハハウス美術館所蔵の青騎士コレクションの中の60点以上に及ぶ作品を中心に当時の写真を織り交ぜながら『青騎士』誕生までを紹介します。5月26日に補足しました!

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Hyogo Prefectural Museum of Art, Kobe, Japan, shot on May 22nd, 2011

展覧会は時系列的に四部から構成されています:
序章:フランツ・フォン・レンバッハ、フランツ・フォン・シュトゥックと芸術の都ミュンヘン
当時ミュンヘンで絶大な影響力を持っていた肖像画画家レンバッハ、そしてミュンヘン美術アカデミーでカンディンスキーに教授したフランツ・フォン・シュトゥックの作品を紹介。この時代にはまだ「青騎士」グループの原形すら生まれていません。

第一章:ファーランクスの時代:旅の時代 1901 - 1907年
恋人(事実上の二番目の妻)であるミュンターとカンディンスキーが運命的な出会いを果たしたファーランクス美術学校時代の作品、及び、二人が放浪の旅で制作した作品を紹介。ものごとを抽象的に表現することへの二人の挑戦がうかがえます。

第二章:ムルナウの発見:芸術的総合に向かって 1908 - 1910年
アルプスふもとに見つけた美しい村ムルナウでの青騎士予備軍とも言える同志との制作活動。青騎士グループの幕開け前夜が写真とともに紹介されています。

第三章:抽象絵画の誕生:青騎士展開催へ 1911 - 1913年
青騎士グループの理念が1911年の「第1回青騎士展」において遂に具現化されます。第一次世界大戦で離散を余儀なくされるまでの『青騎士』たちの作品を紹介。


上記構成をご覧いただければご想像がつくかと思いますが、本展覧会ではいわゆるカンディンスキーらしいカンディンスキー作品はほとんどありません。カンディンスキーがカンディンスキーになるまでの作品がメインです。このような展覧会ってともすれば、派手さに欠け、正直に言うと退屈でさえあり、「期待したほどじゃあなかったね」というのが率直な感想となることが多いように感じるのですが、今回のは一味違いました。

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Impression III (Concert), 1911, Wassily Kandinsky

その構成(或いは、「ストーリー展開」と言ってもいいかもしれません)が素晴らしい。ミュンヘンにおける古い美術教育・美術界への反発から始まり、新たな芸術の形の模索、教え子ミュンターとの運命的な出会い、新しい芸術と愛を探し求めた二人の放浪の旅、ムルナウというアルプスふもとの村での牧歌的生活、抽象絵画の誕生、そして戦争によるこの芸術活動の終焉。この流れが順番に各時代時代の「青騎士」たちの写真を織り交ぜながらまるでドラマのように展開されます。旅の途中でミュンターが残した「物事の本質をとらえて抽象的に表現するということが最近できるようになってきた」という言葉は非常に印象的です。そして『抽象絵画の誕生』と名付けられた最後の部屋でようやくカンディンスキーの『コンポジション』やフランツ・マルクの牛が登場し展覧会はそのクライマックスを迎えるわけです。しかしながらこの希望に満ちた「青騎士」たちの新しい芸術活動も翌年に勃発する第一次世界大戦によってあっけなく終わりを迎えることになるのですが...


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で、今回の展覧会のドラマの中で私が最も気になったのが、カンディンスキー(写真上)とそのパートナー(愛人、婚約者)、ガブリエーレ・ミュンター(写真下)の関係です。

実は私はこの二人が恋人同士であったということはそれまで知りませんでした。(ですから、以下、私の思いはドイツ表現主義・抽象主義や美術史にお詳しい方には「そんなことも知らんかったんかいな!」と感じられるかもしれませんが、お許しくださいませ...)

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このガブリエーレ・ミュンターという女性は元々カンディンスキーが結成したファーランクスというグループによる絵画教室の生徒でした。師匠と教え子にありがちと言えばありがち、二人は「親密」になってしまいます。しかし、既に結婚していたカンディンスキーは(宗教上?)離婚できません。妻と愛人の両方がそばにいることの緊張感に耐えかねたカンディンスキーとミュンターは二人でオランダ、ドイツ、チュニジア、フランスなど各地を放浪し制作活動に励みますが、これが事実上の新婚旅行であったのではないでしょうか。

その後二人はミュンヘンはアルプスのふもとにムルナウという美しい村を見つけます。ミュンターはここに二人の老後のためにと一軒家を購入。そこにはアレクセイ・ヤウレンスキー、アウグスト・マッケ、フランツ・マルクなどが集い、活発な芸術論をかわし、後の抽象絵画誕生へと結びつく数々の作品が精力的に作られたわけです。

法律上の夫婦になれなかったこの二人の結末はどうなったのか。展覧会での説明によると、1914年に第一次世界大戦が勃発し、ドイツの敵国ロシア出身であるカンディンスキーはロシアへ帰国。独り残されたミュンターは一生をかけて二度の戦争やナチスからカンディンスキーをはじめとする青騎士グループの作品を守り続けた、とのこと。ふむ、戦争によって引き離されたのね、と思いつつ、最後に展示されていた年表に目をやると(*文言は正確ではないです)「1914年、カンディンスキー、祖国ロシアに帰る。1915-16年の冬、スカンジナビアにてカンディンスキーとミュンター、再会。1917年、カンディンスキー、ロシアにてロシア人女性と結婚」...え?えー?!ロシア人女性と結婚、しかもそんなすぐにですか?!彼は既婚者ではなかったのですか?だからミュンターとも入籍できなかったのではないのですか??なんともすっきりしません。展覧会の年表にはこのようなシンプルな記述しかなく、何故カンディンスキーが別の女性とそんなに早く結婚(再婚?)したのか、ミュンターは納得したのか、それとも二人の愛はもはや冷めてしまっていたのか、などということについてはまったく記されていません。私としては、ここまで出会いから15年間、恋人として夫婦として同志として歩んできた女性以外の女性とカンディンスキーが何故唐突に結婚してしまったのか、素直に考えると納得できませんでした。何があったのだろう。とても気になり帰宅後調べてみました。

帰宅後調べてみてわかったことは:1916年に最後に再会したのちカンディンスキーはぱったりと消息を絶ちます。彼の身を案じた(そして結婚の事実など想像だにしなかった)ミュンターは警察に依頼し彼を探し続けます。そして数年後、ようやくカンディンスキーが雇った弁護士を通じて彼の結婚、裏切りを知るにいたります。カンディンスキーは彼女に会うことを拒否し、弁護士を通じて彼の作品をはじめとする全ての所持品を彼のもとに送るよう指示してくるのですが、そのような終わり方が納得できない(当然ですね)ミュンターは条件として二人が過ごした15年間、彼女は彼の正式な婚約者であったことを書面に記して残すことを要求します。そして彼に返却する作品も一部のみで、残りはすべて彼女所有のものとする約束もとりつけます。

失意のどん底にあったミュンターは、その後ほとんど制作活動を行なわなくなってしまったそうで、残りの人生を青騎士の作品を守ることに捧げます。また、その作風も一生大きく変わることはなかったそうです。カンディンスキーが結婚し、子供をもうけ、さらなる芸術活動を展開していったのとは対照的にです。おそらく彼女の人生の時計はカンディンスキーの裏切りを知った時に止まってしまったのではないでしょうか。

思えば、ミュンターが二度の戦火から青騎士グループの作品を守り通したのも単なる芸術の保存が目的であったのではなく、二人が共に過ごした時間の証、まさに二人が生み出した二人の「子供」を無かったことにはしたくないという女の意地と執念であったのでしょう。

カンディンスキー自身がどのような状況・考えで彼女を捨てたのかはまだ勉強不足で知りませんのでフェアではないかもしれませんが、なんだか私の中で彼がすごく「嫌な奴」となってしまいました。本当の芸術家というものが一番愛しているのは、結局、自分と自分の作品ということなのかもしれません。



■追記(2011年5月26日早朝)■

カンディンスキーがどういう事情でミュンターと別れたのか、単に戦争だけが理由ではないはずとさらに調べましたところ、『Olga's Gallery(http://www.abcgallery.com/)』という美術史サイトにて『Three Wives of Wassily Kandinsky(カンディンスキーの三人の妻)』と題された面白い記事を発見しました。この記事の根拠となる情報源(カンディンスキーやミュンター自身の言葉なのか、周囲の言葉なのか、或いは周知の事実なのか等)については記事には記されていませんでしたので、それが100%真実であるとは断定できないのですが...

その記事によりますと:
ミュンターがカンディンスキーの可愛い生徒であったうちは彼にとって彼女はインスピレーションを与えてくれるミューズでした。しかし、やがて彼女もアーティストとして成長し、独自のスタイルを確立し始めます。そしてついにはカンディンスキーに逆に彼女が影響を与えるようにまでなります。しかしそれはカンディンスキーにとっては喜びではなく苛立ちでしかありませんでした。ですから第一次世界大戦の勃発は彼にとっては彼女から逃げる恰好の言い訳だったのです。(『カンディンスキーと三人の妻』より抜粋・要約)

その後カンディンスキーが再婚した女性は27歳年下、ミュンターのような芸術家ではない普通の女性であった(メイドであったという説もあります)そうです。このことや、ミュンターが彼の教えを必要としなくなった段階で彼の彼女への愛が苛立ちに変わってしまったということから考えますと、どうもカンディンスキーは、あくまで自分を尊敬し、自分に優越感を与えてくれるような女性を求めていたのかもと考えてしまいます。いずれにせよ、やっぱりちょっと「嫌な奴」ですw。

■追記ここまで■


参考:『カンディンスキーと青騎士』展で紹介されている作家:

ヴァシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky, 1866-1944)
ガブリエーレ・ミュンター(Gabriele Munter, 1877-1962)

フランツ・フォン・レンバッハ(Franz von Lenbach, 1836-1904)
フランツ・フォン・シュトゥック(Franz von Stuck, 1863-1928)

アレクセイ・ヤウレンスキー(Alexei Jawlensky, 1864-1941)
マリアンネ・フォン・ヴェレフキン(Marianne von Werefkin, 1860-1938)
フランツ・マルク(Franz Marc, 1880-1916)
アウグスト・マッケ(August Macke, 1887-1914)
パウル・クレー(Paul Klee, 1879-1940)


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View of Hyogo Prefectural Museum of Art (right) and Sannomiya (left), shot on May 22nd, 2011

兵庫県立美術館(写真右端建物)
神戸市中央区脇浜海岸通1丁目1-1(最寄駅:阪神岩屋。三宮から海辺を歩くと1時間弱)
兵庫県立美術館・『カンディンスキーと青騎士』展公式WebSite:
http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1104/index.html



PRAISE - CINEMA - S・アゴスティ監督「ふたつめの影」+トーク

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元町映画館にて現在開催中の「アゴスティの世界」で上映されている『ふたつめの影』を観にいってきました。この日は京都大学人文科学研究所研究員の松嶋健氏(注:ご本人も冒頭に念を押しておられましたが、精神科医(医師)ではありません)によるトーク(聞き手は大阪ドーナッツクラブの野村雅夫氏)もあわせて開かれ、専門家によるお話しをうかがえるチャンスを逃すまじと駆けつけたのでした。
イタリアの精神医療改革にのぞんだバザーリア(本作品の主人公のモデル)や、バザーリア法についてわかりやすく説明していただき、とても有意義な時間が過ごせました。ただ、残念なのは、時間が少々短く、もっともっと聞きたいことがあったということです。

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映画『ふたつめの影』は、イタリアにおいてすべての精神病院を違法とする「バザーリア法」の生みの親となった精神科医フランコ・バザーリアの体験に基くストーリー。イタリアの片田舎ゴリツィアの精神病院に院長として赴任してきたバザーリア氏がそこで見た悲惨な状況。彼は患者たちに「自由」を与え、最終的には町と精神病院を隔離している壁の破壊、患者の解放を成し遂げる。


「職員からの虐待は酷いものだった。しかし、自分のふたつめの影に逃げ込んだ時、何も感じなくなった」映画の中である年老いた患者がぽつりと告白した言葉である。


松嶋氏のお話しによると(以下、★まで松嶋氏のトークを要約):「ふたつめの影」とはバザーリア自身が指すところの「分身」である。この分身(=ふたつめの影)とは、精神病院という枠組みに適応するために患者自身が作り出したものだ。患者はそこで楽に生きていく(適応する)ために、「ふたつめの影」に逃げ込む。患者自身が選んで逃げ込んだ先なのである。つまり自由を阻む敵は精神病院のみではなく、患者(そして我々)の内部に存在するのだ。

では、「ふたつめの影」から患者を引きずり出し、自由にしてやればそれで事は解決するのか?そうではない。「(隔離)精神病院」という箱が存在している限り、外の世界で生きにくくなった患者達(そしてその周囲の人間もそう望むのかもしれないが)は結局また、壁の向こうの隔離された世界に戻り、自分の「ふたつめの影」の中に入ることで自らを守ることになる。

つまり、隔離精神病院そのものが存在している限り、これは終わらないのである。バザーリアは精神病院そのものを悪と考えたわけではない。当初はそこできちんとした「治療」を行なおうと努力したという。しかし結局、上に述べたようなこと(精神病院の存在そのものが患者の自由な心を奪うことになる)に気付いたとき、精神病院を廃止する(違法とする)しかないという答えにたどりついたのだろう。(★松嶋氏のトークより筆者要約)


冒頭近く、「自分を健康だと思っている人間をどうやって治すことができようか」というセネカの言葉が引用される。この言葉は後にも繰り返し使用されることになるのだが、(個人的体験のせいでもあるのですが)これはやはり心にちくりと突き刺さる。通常、人は病を自覚し、その苦しみから逃れる或いは苦しみを軽減させたいということで治療に取り組む。しかしながら精神病患者の場合、この病の特殊性でもあるのだが、問題を自覚していない場合が少なくないと思われている。この場合、彼らを病院に閉じ込めて「治療」(或いは正確に言うと「隔離」)することは正しいことなのだろうか。それは患者自身の為の「治療」なのであろうか。もっとあからさまに言うと、周囲の人間のための措置ということなのではないだろうか。松嶋氏によると、バザーリア法施行前のイタリアの精神病院はこの「治療」はまったく行なわれていなかったという。それがバザーリアに精神病院の存在について疑問を抱かせた発端であろう。精神病院は医療の場ではなく、まさに「収容所」と化していたのだ(正確に言うと、もともと「医療の場」として始まったのではなく、ちょっとおかしな人を集める「収容所」として始まったのであるから当然と言えば当然なのであるが(松嶋氏))。

ここであることに気付く。セネカの言葉の中の「自分を健康だと思っている人間」を、この映画において精神病患者そのものと解釈してよいのだろうか。アゴスティはこの言葉をそのままの意味、つまり「精神病患者の治療の難しさ」を表す言葉としてこれを引用したのだろうか。精神病患者は自分の病や異常さに気付いていないというのであろうか。もっと言うと、彼らは苦しんでいないと言うのであろうか。

私の答えはNOである。これは周囲の人間にとって都合のよい解釈なのである。狂人は何もわかっていない(正しいと思って行動している)のであるから、苦しみなどない、そう解釈するほうがわかりやすいし楽である。管理しやすいのだ。

ふたつめの影に逃げ込むと何も感じない、苦痛を感じないということは、その状態がセネカの言うところの「健康」である状態ということになるのではないだろうか。これでは治療など望むことはできない(患者本人が快適なのであるから)。つまり、治療不要の状態を作り出しているのは他でもない精神病院なのである。

劇中バザーリア医師は「壁を自分達で壊すことが重要なのだ」と言う。自分達で作り出した影は自分でしか消せないということなのか。エンディングの壁の破壊は、患者たちを縛り付けるふたつめの影を生み出す存在、病院そのものの破壊の象徴なのである。この建物が物理的に存在している限り、彼らは「ふたつめの影」から自由になれないのである。

本作品のエンディングを見て「カッコーの巣の上で」を思い出したのは私だけではないだろう。あの映画のラストでも、(実は原作の小説では主人公(語り部)である)ネイティブアメリカンのチーフが最後に独り、大理石の給水台のようなもので鉄格子を破壊して自由へと向かって歩き出す。チーフはそれまでは外に出ることを拒んでいたのに、だ。

トークで野村氏が松嶋氏に「映画でのラスト、患者達が壊された壁の向こうへと町へと歩き出します。あれは象徴的な行為ですか?それとも現実的な行為と見ますか?」という主旨のことを質問され、松嶋氏は「両方である」と答えられた。この辺りが「カッコーの巣の上で」(或いはアメリカの精神医療の現場)との違いであろう。つまり、「カッコーの巣の上で」で描かれたラストはあくまでシンボリックな行為であり、実際に全ての患者達が壁の外と歩み出てコミュニティと共存していくということはまだ(制度上、そして人々の心の準備としても)不可能であるのに対し、イタリアでは実際に法律によって「壁」を廃止したのである。これは受け入れる側にも大きな決断と勇気が要求されることである。きれいごとを言えば、精神障害者であっても同じ人間なのであるから隔離するなどというのはよくないと言ってしまえるのであるが、実際にそれを我が身に突きつけられたとき、「はい、皆さんを解放して、うちの子供達が遊ぶ公園で一緒に遊びましょう」と果たして我々は言えるだろうか。実際に映画の中でも「自由」を得た患者が塔から飛び降り自殺をするシーンがある。このような自傷他害の可能性をも受け入れることが、例えば日本でも出来るのであろうか。

実はトークの質問コーナーで、実際に精神病院に入院しておられ、先週(だったと思います)退院されたばかりという方から「映画での精神病院はかなりソフトに描かれている。本当の精神病院は垂れ流しなど日常茶飯事、まさに地獄絵図」という指摘があった。思うにアゴスティが描こうとしたものは、精神病院の実態の赤裸々な姿の暴露とか、ショックを与えるということではないと私は考えるので、描写がソフトであることには何の問題もないだろう。それよりも、壁の中にいる患者、医療者、そして壁の外にいる我々、の中にある、自由を阻む存在(=壁)、そしてその壁の破壊がいかに重要であるかということなのではないだろうか。

本作品はラストの「壁の破壊」による「行為の自由の獲得」が非常に印象的である。しかし、本当に倒すべき相手は「壁(=精神病院)」そのものではない。壁の破壊による「ふたつめの影」の抹殺、それにより得られる心の開放が何より重要であるということではないだろうか。




■トークで出たその他のエピソード■
・当時(1978年のバザーリア法により精神病院が廃止されるまで)、精神病院の院長はすべて政府(内務省)により指名、派遣されるものであり、その仕事の内容は「治療」ではなく「管理」(患者をいかにコントロールするか)であった。まさに収容所の所長のようなものである。なので院長が医師である必要性はまったくなかったのである。

・当時のイタリアの精神病院の9割は公立であった。バザーリアは院長としてゴリッツィアの病院に赴任してくるまでは大学病院内の精神科(私立)に勤めていたのだが、この大学病院で扱う患者というのは裕福な層であり、公立の精神病院とは全く異なる。医療においても大きな所得格差というものが存在していたのだ。




「ふたつめの影」(原題 "La seconda ombra")
製作:2000年 イタリア
監督・原案・脚本・撮影・編集:シルヴァーノ・アゴスティ
音楽:ニコラ・ビオヴァー
出演:レーモ・ジローネ ゴリツィアとトリエステの旧精神病院入院患者約200名
配給:大阪ドーナッツクラブ

私的評価:★★★★☆ 82点
大阪ドーナッツクラブ公式HP: http://www.osakadoughnutsclub.com/
神戸・元町映画館公式HP: http://www.motoei.com/


*追記:こちらの記事は新映画サイト『KOBE Day for Night 神戸で映画を』に引っ越しました。神戸のミニシアターを中心とした映画好きのためのサイトです。そちらもよろしくお願いします。

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AUTHOR : CapeDaisee

Born and live in KOBE, JAPAN.
Love Hanshin Tigers, beer and cute tiny things.

神戸市出身・在住 女性
御多分にもれずタイガースファン。
何かを作るのが好きなので そして仕事と家事に忙殺されぬよう ジャムを煮たり写真をとったりしています。おうちで作るジャムのおいしさと神戸のいいところを伝えられれば幸いです。
好きな映画や本や音楽やモノやコトについても時々書いています。
でも最近は写真ばっかりだな...

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